米沢競馬場(山形県)
1947(昭22)年〜1948(昭23)年

山形県は周囲を高峰に囲まれているばかりか
県内各地域も山や渓谷によって隔てられている

明治になり日本の中心が東京に移り
東京との連絡が重視されるようになると
山だらけの地理は近代的発展に非常に不利なものとして
山に囲まれた四方の
道路開削が必要であると考え

明治13年に米沢市東方の栗子山(1,217m)の中腹を堀り抜いた旧・栗子隧道(トンネル)工事が行われた

わが国では初めてといっていい程の大規模な道路用のトンネル工事であり
当時の最先端技術を用いたものである


山形から米沢を経て東京を結ぶ
馬車が通れる路線の開発で山形・福島県両側から掘り始められた


明治14年にはすべての工事が完成し、このときに数多くの道も作られた
そして
明治天皇がその地域を含め東北地域をご巡幸される事となった



その際、峠を離れて米沢側の市街地に近い桑山地区の万世村に御小憩され
のち、記念樹として青松一株が植えられた

その”
万歳の松”の植えられている万世村でも競馬は行われていた


1947(昭22)年:地方競馬法を受け
山形県営による米沢競馬が開催された
しかし、
人気を集めることも出来ず
1948(昭23)年:この年の開催を最後に
休催され


1954(昭29)年:
廃止に至る



山形県南置賜郡万世村